ミョンジャの家のあんずの樹名
故郷を思えば、まず一番に浮かび上がるのはミョンジャの家のあんずの樹だ。
ただひたすら楽しいだけだった幼い頃,故郷の4月の日差しはどんなに暖かかったか、黄色い日差しが風変わりな春の日ならばわれらは決まったように山道を走った。
冬の間行けなかった山とか川がなんとなく気になって行ってみたら、なにか面白いことが待っているように思われたからだ。
一里の道を歩いて学校に通った私たちに山道はまさにそれこそ遊び場であり、遠足だった。
行くだけで私たちは自ずと面白かった。
白峰峠の険しい道をふうふう上がって目につくままつつじを折って胸に抱き乱れ髪の翁草をちぎって風に飛ばしたり面白く遊びながら行くときついことも感じられなかった。
薄汚れた額にある玉汗を拭きながら白峰峠に上がれば唐木に小石を投げながら願いをぶつぶつつぶやく。
待っていたとばかり吹き始めた山風に、汗を冷やしながら足の下の広い野原に向けて気持ちよくおしっこをすると世の中が全部私のもののように胸がいっぱいになってくる。
目を開けるとあの遠くの町内がひと目で入ってくるが、あの町内が見えるとまず初めに目につくのがミョンジャの家のあんず樹だ。
町内の中ごろに明るい赤い色が見えるとそれがまさにミョンジャの家のあんず樹が花ずくのだ。
ミョンジャの家のあんず樹は背丈が非常に大きいために遠くからもよく見えた。
花が咲くと真昼でも町内が明るくあたかも大きな灯台のようだった。
町内の人々は遠くからもあの明るいものが見えるとそれがミョンジャのいえのあんず樹ということがわかる。
ミョンジャの家のあんず樹が見えれば子供らは元気よく走り回った。
もう少し行けば家があるので新しい力が出るのだ。
家に帰ったら麦ご飯に春野菜のおかずでお腹を満たして、一眠りするか盞台や葛を採るために山に登ったりしたい放題だ。
ミョンジャの家のあんず樹はしかしすっぱいあんずの実を食べるようにしてくれない。
どういう理由かはわからないが実る前に皆落ちてしまうのだ。
とにかくミョンジャの家のあんず樹が見えるという事は春を知らせるのだ。
その頃になったら すべての山も野原もする必要がなく花が咲き乱れた。
山ごとにつつじが花火のように咲き乱れ、田んぼのはぜにも野原にも黄色い花らが目めにまぶしかった。
幼い麦芽は青い反物でゆらゆらして蝶々らは日差しのように幸福だった。
その頃になったら醜いミョンジャも醜い顔のミョンジャでさえ、頬が明るく染まって可愛く見えた。
ところで ミョンジャの話が出たからだがそのミョンジャの醜さは牛のように力だけは強い。
腫れるだけ腫れた頬に意地悪さが見える、大きな牛の目玉には 深い欲が満ち溢れだした。
まあ、今でもあんずの樹だけ見たいのであってミョンジャはちっとも見たくない
勉強といったら本の1行を読むのにも汗をだらだら流すくせに臼みたいな図体で同級生の男の子たちをややもすれば殴った。
私もお得意様で殴られたがとにかく気味が悪い娘だった。
私がお得意様で殴られたのには理由があった。
娘は私より年が一才上なのに 同じ学級だったので、勉強ができないために先生をものすごく恐れた。
ところがある日娘がお腹をこわした。
娘があふれ出る下痢を無理に耐えたがいよいよでてしまったので、その時最も元気に笑ったのがまさに私であった。
「くすくす、ああ、あの糞たれ、やったやった ハハ〜」ところがわかってみるといいことではなかった。
「今日の当番は誰だ?」先生が聞くと私はびっくりして飛び上がるところだった。
よりによって私がその日の当番だった。
「ああ〜」
座ったあとがよごれているがけでなく足首にそってだらだら流れるあの糞を私がみな掃除しなければならない運命に処したのである。
「ああ、あの娘の糞たらしが、こんな日にかぎって何故ぼくの当番なんだわあわあ〜」呪いを浴びせながら私はしかたなく雑巾を持たねばならなった。
娘が大便を漏らしたことが何の自慢なのか ワンワン泣きながら手洗いへ行くのに たらした汚物が 足跡ごとに落ちた。
あの足跡ひとつひとつをみんな私が拭かなければならない汚物だった。
勉強もなにもかも逃げてしまいたい気持ちだった。
その日はものすごく運のない日だった。
廊下まで数十メートルにもなる糞のあとをみな拭くことや、それがうわさになって何年かにわたって殴られたのは後日のことだが、その日だけでも、「ああ〜」おう吐を無理にがまんしてぶうぶう拭いたが手が滑るので糞を一度にすべらしてしまった。
びっくりした私はそれをたまたまそばにいた他の娘のスカートにおもわす 拭き付けた。
にわかに糞スカートになってしまった娘はわあわあ泣き始めて、結局私はその多くの糞をみな磨いても1時間終始廊下にひざまづいていなければならなかった。
しゃくにさわった私は休む時間になるやいなやすばやく走り込んで糞のついた一方の手をその娘の顔にむやみにぬぐいつけた。
そのように仕返しをした娘のワンワン泣いた顔に 満足して笑ったがそれも少しの間であった。
次の休み時間にはまた上級生である娘の兄さんに殴られた。
「娘に、兄さんがいるならあらかじめ話をしないと。」
兎に角その日のあらゆる苦難はその醜いミョンジャのためだった。
だから私が見る奴ごとにうわさを立てたのは当然のことだった。
ところがもっとおもしろいことはそれから30年も過ぎた数年前の大邱での同窓会の時だった。
昔話の真っさい中にそばにいた女子同窓生が急にぼくの手を自分の鼻にあてて匂いをかぐではないか。
「君何をしてるんだ、ぼくの手がそんなに可愛いか?」私にその同窓がたずねた。
「あなたはまだ悪いの?」よくみたらその時私が糞のついた手を顔にぬぐいつけた その子供であった。
やはり女の怨恨は怖い。
ミョンジャの家のあんず樹は今でも目に浮かぶ。
目をつぶればあそこのミョンジャの家のあんず樹がぱーっと笑って、子供らの笑い声が聞こえてくる。
いまは切ってないけれど、ミョンジャの家のあんず樹はぼくの胸の中で春ごとに花を咲かせる。
私は故郷に行く度ごとにミョンジャの家に挨拶に行く。
「おばさん、あんず樹はどうしましたか〜?」
しかし90才になるミョンジャの母親は耳がとおくなって すぐに聞き取れない。
「あんず樹や〜」兄嫁になる息子の嫁が答える。「あんたは 来るたんびにあんず樹だけさがすの きってから ながくなるのに〜」
「花がきれいなのに何故きったんですか?」
「花がご飯食べさせてくれるの、影のせいで唐辛子もかわかないのに」
こういう対話は毎年繰り返えされる。
都市で生まれた私の娘たちは父親の郷愁を知っているか。
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